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『じいちゃんさま』
「ひとんちのおじいちゃん見てどーすんのよ」ってのが最初の感想だったんですけど、
ひとんちのおじいちゃんがすっごく見てみたくなりました。
きっかけは友人が教えてくれたサイト、『ほぼ日刊イトイ新聞』のこの記事で。
私はなにか探すとき以外はあまりネットサーフィンとかするほうではないので、いつも決まったところにしか遊びに行かない視野の狭い人間なんですが、友人から教わるページはなにかとおもしろくて、彼女のアンテナに引っかかったものはかなり高い確率で私の琴線にも触れるのでした。
んで、この糸井重里x梅佳代さんの対談で(注:糸井重里は立派なげーのーじんなので呼び捨て。梅佳代さんは有名ではあるけれど、げーのーじんではないのでさん付け)新作写真集『じいちゃんさま』について話をしていまして、俄然興味が湧いてきて、たまたま日本にいた友人(サイトを教えてくれた友人とは別人)に無理を行って持って帰ってきてもらったのでした。
市井の人を撮るのがうまい、うら若きオトメカメラマン梅佳代さんの『男子』は先日美容室の待合で読んで(”見て”か?)「まさに男子だわ。それにしても私が小学生だったころの昭和の男子も今、梅佳代さんが撮っている平成の男子も、なんだ、おなじことしてるじゃん」ってことがなんかすっごく印象的で安心(なにが?)だったんですが、今回のは「うちのおじいちゃん」ということで、「どうなのよ、それ?商品になるわけ?」と要らぬ心配をしましたが、これ読んでて(”見て”か?)心緩んじゃうんですよねぇ。知らぬに顔がにやけてる。
評論家でもないくせに売れるかどうかそんなことを考える必要はないんですが、「なぜなんだろ?なんでもっともっとと指が勝手に次のページをめくっちゃうんだろ?」と思ってちょっと手を止めたときに
そっか。愛か。愛がページに流れているんだ。愛が右往左往、じゃなくて縦横無尽に溢れている。写っている人同士にも、撮り&撮られる人同士にも、写っている人と背景にも。当たり前にそこには愛があるんです。きっと撮ってる人も撮られている人もそんな意識はちっともしないで。
そんな解が頭に浮かびました。きっと答えは一つじゃないけど。
おじいちゃん、孫にいろいろさせられています(頭にキュウリ乗せたりバナナ乗せたり)。
おじいちゃん、お菓子の袋開けるのに一生懸命です。(開けてあげるよと、手を出さずに撮っている孫も素敵)
おじいちゃん、日々の仕事をしています。ひげをそったり、車を運転したり、ゴミを片付けたり。
なんだか、おじいちゃん、コドモみたい。コドモがこんなことしていたら、きっと撮るだろうな、なんて瞬間が盛りだくさん。 私の一番好きな写真。真剣に地図と取り組んでる。まさにコドモだぁ。
そんなおじいちゃんの10年で、すごいなぁと思うのが、おじいちゃん、全然変わりません。髪型も、体型も。しいて言えば眉毛が少々白くなったかなぁ。(年取るメリットはそれ以上見た目、年取らないということかも)一緒に生活している人だから撮れる写真でしょうね。たまに遊びに行くおじいちゃんだったらきっとこうは行かないと思う。
糸井重里が対談の中で「写っているのはおじいちゃんだけど、これはつまり梅佳代のセルフポートレイト、ヌードだね」と言っているのですが、ほんと、そうだと思う。写真家の素(す)がね、そこにある。恥ずかしいだろうなぁ(笑)。
こんな風に思い切り愛を出せるのってすごくうらやましい。愛なんで出そうと思って出てくるものではないし、とめようと思ったってとめられない、どうにもコントロールの効かないものだと思うのです。だから手ごわいし、手に負えない。
そんな愛が溢れるまま。受け止めてもらえるのなら愛は出し惜しみせず、思い切り出せばいい。
愛は受け止めてもらえないと溢れることを許されず、行き場を失って逆流し、濁流となり、そして・・・涙となって出てくるのかなぁ。だから一粒の涙はとても重たいのかな。
幸せな気持ちにさせてもらいつつ、いろいろ考えちゃいました。考えることないのに。でも見ている間はページに引き込まれてる。いつもの自分を忘れられる。つまりいい本でした。
それからようやくようやく出来ました。
いただいたフェルトボールフェルトボールを作品に。
とは言っても、これがまた思ったようには行かず、ビーズのパーツを使ってなにかと思ったらフェルトって意外や意外、すごく締まっているんです、私の体と違って。ビーズで使うピンが通らない。あら、どうしましょと放置しばし(失礼)。針と糸と通すこの方法意外どうしたらいいんでしょうかねぇ。
でもこの暖かい感じは気に入りました。用もなくむちゃむちゃ触っていそう。 まっすぐ通したつもりでも微妙に曲がっているこの感じは作り手の性格を表わしているんだと思います。
ひとんちのおじいちゃんがすっごく見てみたくなりました。
きっかけは友人が教えてくれたサイト、『ほぼ日刊イトイ新聞』のこの記事で。
私はなにか探すとき以外はあまりネットサーフィンとかするほうではないので、いつも決まったところにしか遊びに行かない視野の狭い人間なんですが、友人から教わるページはなにかとおもしろくて、彼女のアンテナに引っかかったものはかなり高い確率で私の琴線にも触れるのでした。
んで、この糸井重里x梅佳代さんの対談で(注:糸井重里は立派なげーのーじんなので呼び捨て。梅佳代さんは有名ではあるけれど、げーのーじんではないのでさん付け)新作写真集『じいちゃんさま』について話をしていまして、俄然興味が湧いてきて、たまたま日本にいた友人(サイトを教えてくれた友人とは別人)に無理を行って持って帰ってきてもらったのでした。
市井の人を撮るのがうまい、うら若きオトメカメラマン梅佳代さんの『男子』は先日美容室の待合で読んで(”見て”か?)「まさに男子だわ。それにしても私が小学生だったころの昭和の男子も今、梅佳代さんが撮っている平成の男子も、なんだ、おなじことしてるじゃん」ってことがなんかすっごく印象的で安心(なにが?)だったんですが、今回のは「うちのおじいちゃん」ということで、「どうなのよ、それ?商品になるわけ?」と要らぬ心配をしましたが、これ読んでて(”見て”か?)心緩んじゃうんですよねぇ。知らぬに顔がにやけてる。
評論家でもないくせに売れるかどうかそんなことを考える必要はないんですが、「なぜなんだろ?なんでもっともっとと指が勝手に次のページをめくっちゃうんだろ?」と思ってちょっと手を止めたときに
そっか。愛か。愛がページに流れているんだ。愛が右往左往、じゃなくて縦横無尽に溢れている。写っている人同士にも、撮り&撮られる人同士にも、写っている人と背景にも。当たり前にそこには愛があるんです。きっと撮ってる人も撮られている人もそんな意識はちっともしないで。
そんな解が頭に浮かびました。きっと答えは一つじゃないけど。
おじいちゃん、孫にいろいろさせられています(頭にキュウリ乗せたりバナナ乗せたり)。
おじいちゃん、お菓子の袋開けるのに一生懸命です。(開けてあげるよと、手を出さずに撮っている孫も素敵)
おじいちゃん、日々の仕事をしています。ひげをそったり、車を運転したり、ゴミを片付けたり。
なんだか、おじいちゃん、コドモみたい。コドモがこんなことしていたら、きっと撮るだろうな、なんて瞬間が盛りだくさん。
そんなおじいちゃんの10年で、すごいなぁと思うのが、おじいちゃん、全然変わりません。髪型も、体型も。しいて言えば眉毛が少々白くなったかなぁ。(年取るメリットはそれ以上見た目、年取らないということかも)一緒に生活している人だから撮れる写真でしょうね。たまに遊びに行くおじいちゃんだったらきっとこうは行かないと思う。
糸井重里が対談の中で「写っているのはおじいちゃんだけど、これはつまり梅佳代のセルフポートレイト、ヌードだね」と言っているのですが、ほんと、そうだと思う。写真家の素(す)がね、そこにある。恥ずかしいだろうなぁ(笑)。
こんな風に思い切り愛を出せるのってすごくうらやましい。愛なんで出そうと思って出てくるものではないし、とめようと思ったってとめられない、どうにもコントロールの効かないものだと思うのです。だから手ごわいし、手に負えない。
そんな愛が溢れるまま。受け止めてもらえるのなら愛は出し惜しみせず、思い切り出せばいい。
愛は受け止めてもらえないと溢れることを許されず、行き場を失って逆流し、濁流となり、そして・・・涙となって出てくるのかなぁ。だから一粒の涙はとても重たいのかな。
幸せな気持ちにさせてもらいつつ、いろいろ考えちゃいました。考えることないのに。でも見ている間はページに引き込まれてる。いつもの自分を忘れられる。つまりいい本でした。
それからようやくようやく出来ました。
いただいたフェルトボールフェルトボールを作品に。
とは言っても、これがまた思ったようには行かず、ビーズのパーツを使ってなにかと思ったらフェルトって意外や意外、すごく締まっているんです、私の体と違って。ビーズで使うピンが通らない。あら、どうしましょと放置しばし(失礼)。針と糸と通すこの方法意外どうしたらいいんでしょうかねぇ。
でもこの暖かい感じは気に入りました。用もなくむちゃむちゃ触っていそう。
by miholanta06
| 2008-12-08 13:34
| 本